■『ルールよりも大切なこと』
イエス様は安息日に会堂へお入りになりました。そこに片手の萎えた人がおり、人々はイエスを訴えようとして、イエスが安息日にその人を癒すかどうかに注目していました。イエスが病を癒すことができるかどうかを確かめようというのではなく、仕事を休むべき安息日に、治療という仕事をするかどうかが問われています。命に関わらない場合の治療は安息日に禁じられていましたが、日が沈むまで数時間待てば、日付が変わります。しかしイエスは待ちませんでした。イエスは人々に問いかけます。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」。これは律法を軽んじているのではなく、律法に示された神の御心を明らかにする言葉です。
安息日は創造の完成を喜び、奴隷からの贖いを思い起こす祝福の日です。イエスは安息日の主として善を行い、不自由な人を救い出してくださいます。しかし、人々は沈黙して拒み、イエスは人々のかたくなな心を悲しまれました。かたくなな心で、自分の考えや習慣に固執するなら、人は本質を見失います。安息日を祝福ではなく規則の日にしてしまうのです。
イエスは「手を伸ばしなさい」とお命じになっただけで、その人は癒されました。治療という仕事は行われませんでした。言葉のみによって癒されました。しかし、ファリサイ派はヘロデ派と組んでイエスを殺そうと図りました。本来対立していた両者が手を組んだのは、イエスを共通の敵としたからです。彼らは、負けを認めることができませんでした。かたくなな心で、自分を神としていたからです。自分が神なら、負けを認めることはできません。かたくなな心は最終的にイエスを十字架につけました。しかしイエスは私たちの代わりに十字架にかかり、かたくなな心を贖い、新しい創造の祝福を与えてくださいました。今も主は善を行い、命を救ってくださっています。その主にお委ねいたしましょう。