■『起きて』
「イエスは言われた。
『なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、
起きて祈っていなさい。』」 (ルカ22:46)
「なぜ眠っているのか。」 ある意味で、問われるまでもないことのように思われます。悲しみすぎて、心も体も疲れきったからです。「彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。」(ルカ22:45) この「なぜ」に対して答えるためには、神のもとへと進むしかありません。「起きて祈っていなさい。」
このとき、「起きて・・・」とは、神に対して心の目を覚まして、祈り続けることです。十字架の死へと向かうイエスの祈りが、目の前にありました。血の汗を流すほどの祈りです。使徒たちは何を祈ればよいか、まったくわからなかったかもしれません。しかし、その悲しみの果ての眠りから立ち上がって、祈るようにと主は命じもし、教えてもくださいました。しかし、そのときは無理でした。自分の知恵も力も、限りなく足りません。
「誘惑に陥らぬよう・・・」 私たちは自分から進んで行って、誘惑に陥ります。この悲しみに進み続けても、神から離れるばかりです。しかし、キリストがそこにおられました。弟子たちは守り導かれます。その悲しみは確かにどうしようもない心の現実です。しかし、キリストは祈り抜いて立ち上がります。「イエスが祈り終わって立ち上がり、・・・」(ルカ22:45) 人の子イエスにとって、祈りとは何であったか。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」(ルカ22:42) 御心に従うためです。そこに答えがあり、進むべき道があります。逃れる道とも言えます。その後、聖霊に満たされて、弟子たちもその道へと進みます。しかし、今は、「なぜ」と問うイエスがおられ、彼らには改めて「祈り」があることが示されました。
「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」