■ 『神の国はすでに来ている』
「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、
神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」
(ルカ11:20)
キリストは、人の魂に手術を施す医者のように働いておられました。神から離れて病んだ魂です。自分でもその病いを自覚することができません。それが軽いからではなく、いちばん深いところにまで及んでいるからです。「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。」(エレミヤ17:9) そこに触れるキリストの御言葉と御業が単純に喜ばれなかったのは、ある意味で当然のことです。キリストは指先に力を注いで、人の全身に及んだ病いから救うように働いておられました。
それに素直に応じる者とは誰か。神の御前で自分を知ることへと、少しなりとも導かれ続ける者たちです。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。」(ルカ5:31) それはまずは喜ばしいことではないでしょう。健康だと思っている人が病いを告げられて、喜ぶことはできません。正しいと思っている人が、罪人だと知らされて、喜べるはずもありません。しかし、キリストを知り、自分を知るなら、喜びます。それこそ、死の病いにおかされた人が、進み続ける救いの喜びの道筋です。一気に喜びに満たされることもできません。しかし、病いに打ち勝ちつつ喜びを増し加えていきます。まず神が喜び、その喜びにあずかりながら、人が喜びに満たされていきます。「わが子よ、あなたの心が知恵を得れば、わたしの心は喜び祝う。」(箴言23:15) 遠い国から帰って来た息子を、ふところに迎えてくださった父の喜びです。(ルカ15:20~24)
そのような招きに応じるのは幸いなことです。しかし、ここでもなお人は自由を失っています。神が与えてくださる知恵が必要です。奇妙な反発をもって受け止める人々がいました。「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している。」 しかし、キリストはこのような悪意に満ちた侮辱にさえ怒ることなく、教え導いてくださいました。神の指で人の心を新たにしてくださる御方です。ほんとうに知恵と知識に満ちた強い御方です。この御方が来て、これほど人の心に近づいてお語りになり、御業をなさっておられるのです。
「神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」