■ 『見て喜んだ』
「こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、
イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。」
(ルカ13:17)
反対者は恥じ入り、群衆は喜びました。反対者に向かって主イエスが、はっきりと語られたからです。(ルカ13:15~16) 悔い改めて信じるべき福音を語る御方が目の前にいたのです。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)
群衆は、まずは素直に喜びました。しかし、彼らの心が定まることはありませんでした。やはり主イエスと共に行こうとするすべての人が同じ道を行かなければなりません。「悔い改めて福音を信じなさい。」
18年間の病いに苦しんだ人は、「アブラハムの娘」と呼ばれています。信仰によって神に望みをかけ、すべての道で神を知るように歩み続けていた人です。だから、その日も会堂にいました。そこでは繰り返し、「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と、教えられます。(申命記6:4~5) その日の会堂では、主イエスが教えておられました。そして、その人を呼び寄せて、「婦人よ、病気は治った」と言われました。その人も神に望みをかけて、そのときがあることを信じていたでしょう。しかし、キリストは今がそのときだと言われました。その人は信じました。そして、「たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。」(ルカ13:13)
望みが、主イエスの言葉と御業において確証を得ました。その確証が人々の心に根を下ろすように、さらに反対者とのやり取りが続きました。群衆はまずは喜びました。その喜びがさらに満たされるように、この御方を知り続けなければなりません。
「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(ヨハネ17:3)
「生きるとはキリスト」(フィリピ1:21)